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真面目に考えつつも真面目なのか疑問な記事です。


ニコニコ動画を見ていたら、某ゲームのOPを模して歴史上の人物を紹介しているMADがありました。
それを見ていて、気になったのがヨシフ・スターリンのところにあった「一人の死は悲劇だが、大量の死は統計にすぎない」という台詞。アイヒマンという人物も同じようなことを言っていたとあったので、ウィキペディアで2人のことを少し調べてみました。

すると、スターリンは「一人の人間の死は悲劇だが、数百万の人間の死は統計上の数字でしかない。愛とか友情などというものはすぐに壊れるが恐怖は長続きする」といった言葉を残し、アイヒマンは 「一人の死は悲劇だが、数百人の死は統計でしかない」という台詞を残しているようです。

この台詞を、私は昔小説の中で読みました。
折原みとさんという作家さん(漫画も描かれています)の作品を沢山読んでいた時期があって、そのなかでも好きだったのが「銀の星姫(メシナ)」シリーズでした。
主人公の女の子が、異世界に召喚されてしまい、戦争に巻き込まれていく…と、はしょって説明すればこんな感じでしょうか。主人公は「今日からマ王」みたいに、自分の世界とあちらの世界を行き来しています。

そのシリーズの中の、2冊目か3冊目かな…。結構最初のほうだった気がします。
自分の世界にいる主人公が悩みを友達に打ち明けて、そこで友達が言った台詞が上記のもの。
私にとって、すごく衝撃でした。

それと、直接の関連があるわけではないのですが、谷川俊太郎の「事件」という詩も、同じような衝撃を受けました。
事件が起きても、記者や評論家など、周りの人はどんどんその事件を忘れていく…というような内容でした。


「人事だから」って意識がある気がします。
それでも事件の記事などを見て、「痛ましい」と思って、でもその気持ちも日々の生活に薄れていって…。

自分が嫌になるというか、偽善ぶってるなぁとか、ちっちゃいなぁとか、マイナスな思考が過ぎってしまいます。

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